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ウルフカブ発祥の地

源平の合戦において、特に激戦が繰り広げられたという「戦の濱」須磨の海岸に、二指のサインを真上に伸ばし天を仰ぐカブの像があります。 スカウティング誌 2006年5月号に 全国ボーイスカウトゆかりの地探訪 の 2番目に紹介された、ウルフカブ発祥の地 の像です。

神戸に来られたときには、少し足を延ばして、探訪されてはいかがでしょうか。

スカウティング誌 2006年5月号 より (本文)

現在のカブスカウトの源流であるウルフ・カブ隊が日本人によって初めて生まれたのは、今から83年前の大正12(1923)年12月、神戸市須磨でのことです。 当時の神戸市長石橋為之助氏の要請で、故古田誠一郎氏(日本連盟先達)が自ら隊長となって創設され、いちはやく日本連盟に登録されました。

それ以前にも大正7年に横浜でボーイスカウト隊の指導に当たっていた英国人のグリフィン氏によるウルフ・カブ隊や、神戸のカナディアンスクール内にカナダ人によって組織されていたという記録がありますが、日本人によるカブスカウト活動はこの須磨向上会ウルフ・カブ隊から始まったのです。

ウルフ・カブの像は、昭和55(1980)年に建立され、7月22日に除幕式が行われました。 兵庫連盟発足30周年の記念事業の一環として建立されたこの像は、神戸市在住の彫刻家、新谷e紀氏によるブロンズ像で、御影石の台座に取り付けられています。 モデルに選ばれたカブスカウト 3人が何度もアトリエに足を運んでデッサンされたとのことです。

無心に天を仰いで二指のサインをしているこの像は、過去の歴史を語り、それを正しく受け継いで、未来に向かって限りなく続くことを願っているかのように。 それはまた平和を象徴する天使の小鳩のように。

この一文は建立当時の高木兵庫連盟理事長が、建立の報告文に記されたものです。

瀬戸内海に臨む源平伝説ゆかりの須磨浦公園から、その像は今も未来に向かってカブサインを掲げています。


須磨向上会ウルフ・カブと
古田誠一郎隊長

碑文(像の右手にある)

ウルフカブ像制作ストーリー (尼崎第7団ホームページ)

アクセス

山陽電鉄須磨浦公園駅 下車、公園内を東へ徒歩約15分

駅前にある 総合案内板 には、残念ながら載っていません(下図には 矢印 で示しました)。

付近の見どころ

須磨浦公園 は、源平の合戦ゆかりの地として、敦盛塚が近くにあります。

この付近は源平一の谷合戦場として知られ、寿永3年(1184) 2月7日に、当時 16歳の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するためにこの塔を建立したという伝承から、"敦盛塚"と呼ばれるようになった。(塚の横にある解説より)

また、駅横からのロープウェイ(片道350円)で背後の鉢伏山に登ると、展望台から、大阪湾と明石海峡を一望に見渡すことができます。